メッセージ

これまであさひサンライズホールに関係された方からのメッセージなどを掲載いたします。

北海道文化財団発行の「北のとびら」Vol.111(2017年3月発行)に「体験版 芝居で遊びましょ♪」事業が特集されました。

  ⇒財団ホームページ

企画から15年を経て制作した演劇公演は試演会なども含めると40本近くになります。その中でも誰でもが参加できる市民劇として継続しているのが「体験版 芝居で遊びましょ♪」シリーズです。
芝居の経験のない方々がプロの演出を受けて連日の稽古に通い、たった1回だけの本番に向かいます。
40日〜60日にわたる稽古期間には悲喜こもごもの人間模様が生まれます。
芝居仲間としての絆も強く、舞台を離れてもコミュニティとしてのお付き合いが続きます。

 2017年3月公演

2012年北海道演劇宣伝美術大賞(わてるね賞)入選

 演劇を下支えする宣伝美術の担い手を励まし、小さな灯で照らすささやかな個人賞として、伏島信治氏(伏島プランニングオフィス代表・北海道演劇財団評議員・)が主宰する本賞の入選作品に選ばれました。

大  賞    「キネマの怪人」教文13丁目笑劇場
優秀賞    「それじゃバイバイ」劇団亜魂
優秀賞    「サクラダファミリー」イレブン☆ナイン
入  選   
 「境目に降る雪」あさひサンライズホール
         「天国への会談」イレブン☆ナイン  「輪舞(ロンド)」日本劇団協議会新進演劇人育成公演
         「札幌演劇シーズン2012−夏」  「イゼン、私はアンドロイドでした」BLOCH  「果実」弦巻楽団


2013年1月7日発表
 
追悼花火                 森川理加子

 3月20日午後6時、まだ暮れきらぬ朝日町の寒空に美しい花火が舞い散った。それは住民劇「花火、舞い散る」終演後のこと。
 花火職人一家を中心に従業員やその周りの人々の姿を描いた笑いあり涙ありのこの芝居は、後継ぎ息子の不慮の事故死という悲しみにあいながら、それを乗り越え、供養を兼ねた花火を打ち上げたところで幕を閉じる。
 感動的なラストの余韻をさらに盛り上げようと、キャストやスタッフがお金を出し合い、旭川の海洋化研さんの協力のもと、終演後に本物の花火を打ち上げる運びとなった。
 年を重ねるごとに評判をあげた住民劇はチケットの売れ行きも順調で、客席以上に売れてしまい、本番の代わりにチケットを払い戻すことを条件に100人ほどのお客さまにゲネプロを見ていただくことになった。さぁお膳立てはできた。本番はもうすぐ…そんなある日、あの大地震が起きた。
 あまりにも痛ましい被害。日本中に自粛ムードが広がるなかでの公演に正直悩みもあった。だが、本番の代わりにゲネプロに来たお客さんが「いい芝居を見せてもらったから」とチケット代を大震災の募金箱に入れてくださったときには思わず涙が出た。
 花火のために集めたお金は一部を義援金とし、演出ではなく追悼花火として打ち上げた。充実感と喜びと悲しみと傷みと、いろんな感慨を持って見上げたこの日の花火を私は忘れない。

(北海道新聞 夕刊  平成23年4月6日から転載)

演劇集団主宰



演劇ってやつは         大関 真(劇団スーパー・エキセントリック・シアター)

はっきり言って「演劇」ほど「エコ」じゃないものはないと思う。
省エネやらエコポイントがなんちゃらと叫ばれているこのご時世に、なんとムダの多い事かと思う。

たった数回の本番の為に数ヶ月も前から稽古をし、
たった数回の本番の為に大がかりなセットを組み、
たった数回の本番の為に毎日酒を飲み続ける。

まぁボクは下戸なんで毎日コーラですが。
この朝日町でもそんな演劇をやると言う。
その演出の為に22日から約1ヶ月半、朝日町に軟禁、いや監禁されている。
車もないので遠出はほぼ無理。

なぜだ!
なぜ北海道まで来て軽い引きこもりにならねばならんのだ!
しかも本番は1回きりだと言う。

たった1回の本番の為にボクを1ヶ月半も監禁し、
たった1回の本番の為に「The棟梁s」は1mmに拘ってセットを作り、
たった1回の本番の為に役者達は仕事&家庭をそっちのけで毎夜稽古に集まる。

セットなんかものスゴイ分量なわけで
このセット達があと数時間後には跡形もなくなるわけで
エコなんてどこ吹く風なわけで
でもねエコじゃないけどねボクが思うにね
これが演劇の「原点」なんじゃないかなと。
普段忘れがちな「想い」を思い出させてもらったなと。

たった1回に想いの全てを懸ける。
たまたまそこに居た人達にしか共有出来ない想い。
その瞬間にしか味わえない想い。
それが舞台の醍醐味なんじゃないかなと。

まぁ言ってみれば「打ち上げ花火」と一緒なわけです。
一瞬に懸ける想いなわけですよ、舞台も打ち上げ花火も。
あ、うまいこと今回の芝居と繋がった。

本番が始まったら後は役者さん達にお任せするしかありません。
演出家は無力です
なので

泣いたり笑ったりしながら必死で稽古してきた役者さん達が、すげぇステキな打ち上げ花火を上げてくれると思います。

上がんなかったら一緒に泣きましょ。
上がったら一緒に笑いましょ。
なんせやり直しきかないんで。

最後に
こんな若造演出家の無茶な要求に文句も言わず、あ、間違えた、文句を言いながらも完璧なセットや小道具を作ってくれたスタッフの皆様、本当にありがとうございました。
そしてご来場頂いたお客様。本日はご来場頂きまして誠にありがとうございます。
たった1回きりの本番です。
打ち上げ花火でも見るつもりでごゆっくりお楽しみ頂ければ幸いです。


(公演パンフレットから転載)


演出家・役者

 

地域創造レター    2011年1月1日号

 

演出の言葉                                    イナダ

 「センセイノチカラ」と言うだけあって全員が学校の先生。あたりまえの話しなんだが、よく考えると驚く。全員学校の先生で芝居を作る。誰がこんな企画を考えたんだ…。
 そして集まった18人の精鋭達。でも、ちょっとまてよ…。そう聞いているし、本人達も言っているが、本当に先生なんだろうか…? 彼等が教壇に立って教えている姿は見ていないぞ。嘘じゃないのだろうか。稽古をしている彼等を見ていると、どうも先生とは思えないところが多い。マジに先生なんだろうか?????
 ペチャクチャおしゃべりはうるさいは、人の話しは聞かないは、落ち着きはないは、遅刻は多いは。先生じゃなくて生徒の方じゃないのか。みんなに騙されてるだけじゃないのか。きっとそうだ。そう考えるとつじつまが合う。あんなアポで出たがりの先生がいるわけがない。
 てな冗談はさておき「センセイノチカラ」の企画。なかなかスリリングで楽しい経験でした。「芝居をつくりましょ♪」の企画で何回かサンライズホールで演出をさせてもらった。でも今回は先生だけ。今までとは全く違う雰囲気の芝居作りになった。芝居自体も「芝居をつくりましょ♪」とは全く違うテイストのものになった。本当にこんな画期的な試みはないと思う。
 いつもなら学校祭や学芸会で生徒にやらせる方の立場の人々が、自ら道化となり役者に挑戦する。とても良いことだと思う。とはいえ日頃忙しい先生、稽古に参加するのは大変だったはず。それに今回は芝居だけでなく、ダンスもあったのでより大変だっただろう。約1ヶ月と少し、皆さんはよく頑張ってくれた。私のいじわるな演出にもついて来てくれた。本当によく頑張ったと思う。(だからと言って、今回の舞台がビックリするほど面白くなるとはかぎりませんから)
 演技をするということは、他者になりその他者の気持ちを想像することである。人を理解して考えるところから始まる。これは先生達にはきっと良い経験になったんじゃなかと思う。この経験が色々な事に役立ってくてたら嬉しい。そして芝居好きになり。もう一度やりたいとか。芝居をもっと見てみたいとか。そう思ってくれたらなお嬉しい。

(「さくら先生の初戀」公演パンフレット 2010年12月11日公演)

イナダ
 演出家・劇団イナダ組代表

 


先生のチカラ                                   安川 としお

 労働運動が盛んだった昭和30年代、小学生だった私は、中学校の体育館で開催された地区労文化祭のステージで、演じたり楽器を演奏したりする先生たちを目にした。
 幼い私は、舞台での先生の表情が教壇でのそれと違うのに驚いた。そして同時に、「すごいなあ」と感動し、先生たちへの敬愛の念を大きくふくらませた。
 1月30日、士別市のあさひサンライズホールで"センセイノチカラ"第2回の音楽劇が上演された。第1回の昨年はダンス中心で、体育担当を中心に小中学校の先生7人がいい舞台を披露したが、今年は参加する先生が18人に増えた。
 演じ、歌い、踊り、楽器も演奏する、とても短期間で仕上げたとは思えない濃密な舞台だった。忙しい日常の中で大変だっただろうという思いと、真剣に舞台に取り組む姿への感動とで、何度も熱いものが込み上げてきた。会場にいた子どもたちは「先生ってスゴイ」と思ったに違いない。(中略)
 先生たちは、専門以外にもさまざまな力を持っている。それを学校ではもちろん、地域の中でどんどん発揮してもらえたらすばらしいと思う。

(北海道新聞夕刊 2010年2月15日号から転載)

安川 としお(やすかわ としお)
 朗読パフォーマー。



富良野風話 249 市町村合併                         倉本 聰

 ここ十年。
 北海道ではささやかながら小さな文化の波が起こり始めている。それまで行政や政治家が義理のように作り、義理のように運営してきた文化ホールという巨大なハコ物が、心ある小さな町々で、規模は小さいが確かな創造の場といえるものを創り始め、着実な運営をし始めた。
 端野町のホール。鷹栖町のメロディホール。朝日町のサンライズホール。富良野に於ける演劇工場もそうである。
 小さな町がホールの事業を展開することで、近隣市町村を含む広い範囲に町の存在をアピールしたり、文化を楽しむ風潮を広めたり、それはかつて大きな町の大きなホールが決してしようとしなかった風潮である。
 ところがここに今、こうした動きに水を差す困った動きが生じている。市町村合併という一つの波である。
 たとえばここ十年、優れたホール活動を展開してきた朝日町サンライズホール。僕ら富良野塾も何度かここを利用させていただき、町民ぐるみの応援態勢の中で傑出した感動の場を創り出すことに成功している。
 この朝日町が、近々士別市と合併するらしい。
 朝日町はわずか千何百人の町であり、士別市は一万を超える街である。対等合併とは名目上のこと、事実は吸収合併に等しい。
 ところが士別には昭和三十年代に設立された市民文化センターというものがあり、キャパシティに於いてはサンライズホールをはるかに凌ぐ。しかしこのホールは自主的事業は展開しておらず、行政もそれでかまわないと考えているふしがある。僕らもここでやったことがあるが、館の対応、その意気込みは、朝日町とは極端に違う。
 経済的な背景を云うなら朝日町が士別市より豊かであるとは決して云えまい。しかし朝日町の町長はその中で懸命に文化予算を捻出し、十年に及ぶ歳月の中で少しずつその成果を挙げてきた。それは今漸く芽を出した段階であり、これから木となり花を咲かせ、実をつける方角へ明白に向かっている。
 ところが市町村の合併は、表向き対等ということであっても大きな自治体への吸収合併という様相を呈し、その中でより大きなものの持っていた論理が、小さなものの為してきた業績を簡単に否定し押しつぶしてしまう。
 経済本位にのみ考える行政の思考が、これまで小さな町が奇跡的に育ててきた文化の芽を摘み取ってしまうことなど、まことに簡単なことであろう。しかし果たしてそれでいいのだろうか。
 大きな町の町づくりの論理が、小さな町のそれより優れているとは限らない。真の市町村合併は小の長所を大が育てるところにこそある。

(財界 2004年10月15日号から著者の許可を得て転載。不許複製)

※士別市民文化センターにおいて富良野塾の演劇公演が開催されたことはありません。


倉本 聰(くらもと・そう)
 脚本家・演出家・劇作家として活躍。私費を投じた役者・ライターの養成のための「富良野塾」を26年間主宰。ドラマ「北の国から」「前略おふくろ様」など、数多くのテレビドラマを書き、富良野塾OBを中心とした富良野GROUPによる演劇作品で全国、世界で公演している。



風が吹いている                                    串田 和美

 旭川空港に着いたとき、空には雲ひとつなく、六月の北海道大地は夏を迎えようとしていた。そこから二時間あまり、朝日町という人口二千人足らずの小さな町に僕らを乗せた貸切バスはひた走る。母親と離れて僕についてきた五歳の息子、十二夜は興奮して広大な牧草地や、遥かに遠い残雪の山々を眺めていたが、心地よいバスの振動には勝てず、あっさり眠ってしまった。振り返ってみると、二十名ほどの大人たちはみんな、心地よさそうに揺れて、眠っている。雲ひとつない真昼間の北海道大地だというのに、果てしなく続く一直線の道だというのに、あんまり気持ちがいいのだ。律儀に運転手帽子をかぶった運転手だけが、律儀に運転している。なんだか知っていたなあ、こんな感じ。
 二年前から始めたシアターキャンプというものを、今年は松本で二週間行って、それから場所を去年までのキャンプ地、北海道に移してさらに二週間ほどを行う。これはプロの俳優や演劇人を中心に、少し毛色の違う面白い人なんかも加わって、すぐに幕を開ける為ではない、演劇の本質や可能性を探り出す贅沢な作業、演劇ワークショップだ。今年の題材はダリオ・ホの「虎物語」とゲーテの「ファウスト」。ゲーテだけではなく、クリストファー・マーロットやドイツの民衆本としての「ファウスト」をも持ち出した。そして欲張ってペローの、バルトークの、更には寺山修司の「青ひげ公の城」にまで手を出す。
 十二夜は、一年ぶりに再開する朝日町保育園の友達のところへ、張り切って走っていった。朝日町の子ども達も楽しみに待ち構えていた。みんな十二夜のまわりに集まってきて、お互い黙って突っ立っている。みんなはじろじろ見るだけだし、十二夜はくすぐったそうにそっぽを見たりして。僕は、今年もお願いしますと言って息子を置いてきた。仲間達のところへ戻りワークショップを始めると、しばらくして窓の向こうの原っぱに、子ども達が走り回っているのが見える。
 「ジュニちゃん、だめよ!」「わーい、わーい」犬ころみたいに転げ回っている。ここはスキーやジャンプのオリンピック選手たちが合宿練習するところだし、去年息子がアマガエルを初めて素手でつかんだところだし、仲良しになった友達と別れる悲しさを知ったところでもあるし、そうだ、誰もが確実にたくましくなっていく北海道、朝日町の…風。

(松本市民タイムス 2004年6月30日号から著者の許可を得て転載)


串田和美(くしだ・かずよし)
 俳優、演出家として活躍。オンシアター自由劇場では「上海バンスキング」「もっと泣いてよフラッパー」等で台頭。中村勘三郎とのコンビで「コクーン歌舞伎」「平成中村座」での歌舞伎公演の演出を手掛ける。シアターコクーン初代芸術監督、日本大学芸術学部教授、まつもと市民芸術館館長兼芸術監督。


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